ウッドワンはニュージーランドに、木を育てるための大きな敷地を持っています。 イメージ的には木の成長段階にあわせて土地を4つに分け、使っては植えることを繰り返すサステナブルなサイクルを生み出している。 その姿は伊勢神宮の式年遷宮にも似ていますよね。 木の節がなるべく出ないように枝を払って、まるで槇の面割を見せるように森を育てている。
木を育てるということは、森を整備することでもあります。 日常生活に使う木材を育てる行為と、環境保全のために木を残すことは、ある意味でイコールなんです。 木がない国で生きるのは苦しい。戦争が起きれば木は燃料にされてしまいますし、東京の森林も第二次世界大戦で大きく減りました。 でも近年はどんどん増えています。明治神宮も荒涼としていたはずが、今では100年の森になっています。
プロジェクトが始まって一番感動したのは、工場に届いた巨大な無垢材を見たときです。 太い木が育つには数十年という時間がかかる。それを切って使うわけですから、木の思いを考えてしまう。 「これを切るか?」と思うほどの贅沢さが、このプロジェクトにはありました。 そこで、このニュージーランドパイン材で取れる最大幅である300mmのフローリングをつくることにしました。 普通は大きくても250mmほどです。ほとんどの人が歩いた経験のない幅でしょう。 同時に、繊細な浮造り(うづくり)も施しました。 年輪をどこまで残すか、その微妙なところを探った。 平らにしすぎると良さがなくなり、プリントのようにも見えてしまう。 自然な凹凸を残しつつ、使いやすい質感にしました。 木材は色も変化するので、なるべく白さが残るイメージで進めました。 パイン材は徐々に黄色くなりますが、人はどうしても黄変を劣化と感じてしまう。 でも長い時間をかけて変化する「経年変化」という考え方もあります。 それは一日にしてならずです。傷もつくし、変色もする。それは時間の蓄積です。 もし改めてきれいにしたければ、メンテナンスすればリフレッシュする。それもまたすごいことですよね。
日本の住居でフローリングが敷かれる前は、カーペットがあり、その前には畳がありました。 木を部材として用いるのは廊下が主でした。神社仏閣では幅の広い厚い木が使われています。 防犯のための鶯張りで、歩くとキュッキュッと音が鳴る仕掛けもありました。音もまた木の機能です。 歩いたときの音や揺れる感じ。木は接触感の多い素材と言えます。 そういうものに触れながら育った人間と、フェイクの木材に囲まれてきた人の感性は、やはり異なると思います。
木は、生きるための道具をつくるのに最適な材料です。住居だけでなく、それをつくる道具も、食べるための道具も、すべて木材が必要です。 人は木がないと生きられません。本物の木がある暮らしの方が良いということは、誰もが知っているでしょう。 そういう状況に戻すことが、人間が本質的に生きるために、今もっとも必要なことだと思っています。
TEXT | Mai Tsunoo
PHOTO | MASAKI OGAWA